カンボジア最終日、アンコール遺跡観光のラストはシェムリアップから南へ十数キロ離れた所にあるプノン・クロムへ行くことにしました。最終日も勿論移動はオール自転車。整備の悪いレンタサイクルで悪路を毎日数十キロ走って来てだいぶお尻を痛めていましたが、貧乏人は他の交通手段なんて考えません。
昨夜から雨が降っていて朝には上がっていましたが、プノン・クロムへの道は今までとは比べ物にならないくらい水はけの悪い道でした。プノンペンでも雨が降ると道路は洪水状態になっていましたが、ここではコンクリートではなく土の道が洪水になるのでママチャリでは到底太刀打ち出来ないコンディションになります。南にある遺跡はプノン・クロムだけなので観光客もあまり来ないため、道路整備に力が入っていないのでしょう。
洪水の道を自転車を押して歩きながら通過したので片道2時間も掛かってしまいました。体は最高に疲れましたが、おかげで面白い物も見れました。浸水した道路を苦もなく通る人々、そこで遊ぶ子供達、見ているだけでこっちもワクワクして、自転車を置いてたくさん写真を撮りました。
やっとの思いでプノン・クロムに到着しても、試練はまだまだ続きます。遺跡は山の上に建っているので、自転車を麓に置いて1時間くらい山登りをしなくてはいけないのです。いざ登ろうとした時に出会ったのが彼女でした。
とっても美人さんで、銅像に抱きつきながら写真を撮ってと言ってきます。喜んで撮影するとお金を要求してきたのでいつものように飴をあげたらすぐ納得してくれました。こんな子が東南アジアはたくさんいます。子供は皆同じだけど、その中でも可愛い子に物乞いされるとやっぱり印象に残ります。何人かの子供は今でもはっきりと思い出すことができます。
登っている途中雨が降り始めました。持っていたレインコートを来たらあまりの暑さで目眩がしたので暑さと雨を天秤にかけて濡れる方を選びました。暑い国では傘の方が良いようです。
雨が上がって来た頃、子供の僧侶がカラフルな傘を差して下りてきて、それが着ている袈裟の色と絶妙にマッチしていて、どんよりとした景色を鮮やかにしてくれました。
苦労して登ったけれど、遺跡自体は平凡なものでした。上からの景色も晴れていて朝陽か夕陽の時間なら素晴らしかっただろうけど、曇り空では魅力も半減です。
下山する途中男の子達に会いました。私を見ると裸になってアピールするので写真を撮るとマネーマネーと言ってきます。もうお菓子は持っていなかったし疲れていたので、あげないよと言ってそのまま歩いて行くと、追いかけて来てパンチをしてきます。暴力をふるう子供は初めてだったので驚きましたが、近くに大人の人がいて何か指示しているようでした。きっとプノン・クロムへ来る外国人には物乞いをするように決められているのでしょう。子供は笑いながらパンチをしてきましたが、ふざけているのか本気なのかが分からなくて少し怖くなりました。写真に写っている笑顔を見ると無邪気な子供にしか見えないんですけどね。
帰り道も洪水は変わっていなくて、宿に着いた時には晩ご飯を食べる力ないくらい疲れていました。
翌日8月31日の朝にタイのバンコクへ向けてバスで出発したのですが、国境を越えてタイ側のバスに乗り換える所でトラブルがありその日出発した人の中で一番遅くバンコクに着くハメになりました。カンボジアでの疲れと国境越えの疲れ、バンコクでの宿探しも簡単ではなく、31日は一枚の写真も撮りませんでした。
これでカンボジア編は終了です。
上の写真はシェムリアップの街から東に13キロ程行った場所にあるロリュオス遺跡群の中のプリア・コーという遺跡の前にあるお店です。お客が私しかいなかったので皆遊んでいます。手前は暑い国に来ると好きでも何でもないのに雰囲気でつい飲んでしまうヤシの実。凄い量で毎回おなかがタプタプになります。
アンコールワットやアンコールトム等のメジャー所は街から北へ5〜6キロの場所にあるのでこちらの遺跡に来る人はあまりいません。遺跡自体も大した事無かったのですが、私はこの場所はとても想い出に残っているし、気に入ってます。ここで働いている人々は他の遺跡と比べて凄くフレンドリーで、一緒にいる間友達になれたような気がしたからです。
ロリュオス遺跡二つ目はバコンです。
この少年達はバコンの周りをずっとバイクで回って遊んでいました。見た感じ小学生でしたけどこの国では日本みたいな免許ってあるのですかね。
街から来るとまずプリア・コーがあって、次にバコン、そしてバコンの奥にも遺跡があります。バコンの手前の入り口はお店や物売りの人がいるのですが、その人達は皆バイクで移動していました。私がバコンの一番奥まで行くと手前の入り口で会った物売りの女の子二人組も来ていて、運転役の女の子が3人乗りで戻らないかと言ってくれます。乗りたかったけど後ろに乗っていた女の子は嫌がっていたので結局バイクの後を走って追いかけましたが、おかげで仲良くなることが出来ました。
その後バコンの入り口にあったお店で遅い昼食。お店女の子がハンモックで休憩していきなよと言ってくれたのでお言葉に甘えたら疲れが溜まっていたので寝てしまいました。記念写真を頼んでるのに私の顔半分寝てます。
さっきの女の子達が寝ている私を見て笑っていたので話すチャンスだと思ってその輪に加わったらそのまま2時間くらいダラダラしてしまいました。バイクを運転していた役の女の子は18歳でしたが何と妊娠していて、聞くとカンボジアの女性は20前後で結婚する人が多いそうです。ちなみに旦那は私と同い年の29歳でした。後ろの嫌がっていた女の子は2時間の間何度も織物を買えと迫ってきて、私とその子のやり取りを皆面白がって笑っていました。遺跡の記憶は全然ありませんが、彼女たちの事は一生忘れないでしょう。それにしても何故彼女達の写真が一枚もないのか、悔やまれます。
帰り道、泥だらけの男女が体を洗うために次々と沼に飛び込んでいました。皆笑っていて楽しそうでした。
こんな小さな子が二人だけで牛を引いてました。カンボジアの子供は小さい頃から親の仕事の手伝いをするのが当たり前なんですね。
私はシェムリアップに12日間滞在し、20以上の遺跡(アンコール遺跡は全部で40近くあります)を見学しました。今回はその中で写真写りが良い遺跡ベスト4を掲載します。やはり有名な遺跡ほど写真写りは良かったという結果になりました。
それでは見学した順に、まずはアンコール・トムの中の一つ、バイヨン。
バイヨンの入り口でお店をやっていた子供達。
この道は何度も通る場所なのですが、その度にこの子達が走って飲み物を売りに来るので可愛くなって購入しました。値切っても街中の倍の値段でしたが観光地価格は日本でもあるのでまあ納得。しかし私が座って休んでいる間に来た地元のお客にはちゃんと正規の値段で売ってました。その時ちらちらこちらを伺ってるのがおかしかったです。
写真を撮らせてと頼むと大人に無料で撮らせて良いか聞いてました。そんなことすら大人の了解がいることに驚き、とても良い子達なのに、大人の言う通りに商売させられていることが垣間見えて何だか可哀想な気持ちになりました。
タ・プローム
タ・プロームでもかわいい子供達に出会いました。アンコール遺跡周辺にいる子供達は大抵物売りなのですが、まだ商売も出来ないくらい小さい子達は遊びながら観光客を見るととりあえず試しに言ってみるかという感じで物乞いをしてきます。この子達もそうだったのですが、私はこういうときお菓子をあげることにしています。子供の物乞いは大抵親や悪い大人の指示でやらされているので、お金は昔から渡さないことにしていました。しかし何も渡さずに追っ払うと悪い事したなという気持ちにいつもなりました。ある時お金の代わりに持っていた飴をあげると、その子はそれを食べてそれ以上は求めてきませんでした。それ以来子供の物乞いには飴かガムをあげることにしています。この子達にもそうしましたが、偉いなと思ったのは決して一人でたくさんもらおうとする子はいなくて、まだもらってない子を連れて来てはこの子にもあげてと言うのです。今回は何とか全員分持っていてホッとしました。自分の子供時代を思い出しても、こういう時もらえなかった子供の気持ちは良く分かるから、常にある程度の数を持ち歩いてないといけません。
お次はアンコール遺跡の代名詞、アンコールワット。確かに規模と作りの細かさから言っても最高なのは間違いないと思いますが、残念ながら私が行ったときは工事中で大きく緑のシートが被せられて台無しでした。そしてもう一つ、人が多過ぎます。どこもかしこも人だらけで、中には酷いマナーの観光客も居て見ていて気分が悪くなりました。人が居ない所を狙って撮っていますが、やはり絵にはなります。
アンコールワットへ続く一本道。緑のシートと人波が景観を壊しています。
現在最上階へ登れるのは一箇所だけなので行列が出来ています。
アンコールワットの上に登ると周りを森で囲まれているのが良く分かります。
ラストはプリアカン。プリアカンを見学していると、突然警官がこっちに良い写真スポットがあると案内を始め、そのままずっと英語で解説しながら最後まで付いて来ました。まさか警官がとは思いましたが、やはり最後にガイド料を要求されました。カンボジアは警官の給料が低いらしく、アンコールのガイドや警官バッヂを販売することで副収入を得ているみたいです。