宿泊:1泊目HOTEL 152 2泊目HAI HA HOTEL
13日にホーチミン入りした私は、何かあってはまずいと思い着いてすぐ14日出発のカンボジア行きのバスを購入しました。15日がビザなしでいられるリミットだったので、その1日前に出国しようと考えたのです。
チケットを買ってホテルを決めたら既にお昼を過ぎていました。1泊しかないのでとりあえずひたすら街を歩き回り、ホテルに戻った時は22時過ぎ。そうしたら、何とホテルの入り口にシャッターが下りていました。宿泊客が帰ってない事は知っているはずなのにシャッターを下ろすなんて想像もしていませんでした。それだけ治安が悪いということなのでしょうか。
しかしちょっとホテル経営者としては酷い、腹が立ちます。と同時に夜のホーチミンで一夜を明かすことになったらどうしようという恐怖も湧いて来て、必死にシャッターを叩くと中から不機嫌そうな顔をしてオーナー(おばあさん)が出てきました。その態度に又カチンときましたが、早く休みたかったのですぐに部屋に戻りました。とんだ災難だったと思いましたが、本当の災難はその後でした。
部屋に戻って鞄を開けると、現金数百ドルとipod touchが無くなっていたのです。一体いつ盗まれたのか、旅を初めて約1ヶ月何もなかったため油断してバックの防犯意識が緩んでいたのは事実です。きっと鞄から離れた時にやられたのでしょう。
もしかして勘違いかもと思い全ての荷物をベッドにひっくり返して見ましたが、やはり何処にもありません。この時の気持ちというのは他では味わったことのない複雑なものでした。盗んだ人への怒りよりは、油断した自分への後悔が強く、自分を責める気持ちと大事なものが無くなった辛さが一体となって体の力が抜けてしまいました。これが夢なら良いのにと思いました。明日するべきことを考えると憂鬱でした。もう何もする気が起きず、ぐちゃぐちゃのベッドのまま無理矢理眠ろうとしましたが、しばらくは眠れませんでした。
朝目覚めると、不思議なことに昨日の出来事は全部夢だったのかとホッとした気持ちになりました。頭がぼーっとしており、本当にあれは夢の中の事と思い込んだのです。人間の願望は時に脳をおかしくするようです。夢だったと思いながら鞄を探しましたが、やはりどこにも無くそこで完全に現実だと確信しました。夜よりも朝の方がリアルに物事を捉えられます。自分の気持ちは一先ず置いて、やらなければいけないことを一つずつ実行しようと思いました。
私は保険に入っていたので、警察の盗難証明書があればipod touchの代金だけは返ってきます。現金は戻ってきませんが、少しでも取り返したかったので届けを出すつもりでした。
不幸中の幸いで、バスチケットを日系の旅行社で購入していたのでまずはそこに行き、日本人スタッフに事情を説明。当日キャンセルは無理だったので出発のバスに間に合うかは盗難証明書がもらえるか次第だという話になり、警察の場所を教えてもらいました。
その時朝9時で、出発は15時だったのできっと間に合うだろうと思ってました。甘かったです。ベトナムの警察を舐めてました。
警察署に行くとまず根本的に英語が通じません。少し出来る人と話をしましたが、全然やる気がなく、お前じゃなく泊まってるホテルに届けを出させろと言うので、ホテルに戻って説明しました。案の定おばあさんはこちらは関係ないよと怒ってきます。何もする気はない、巻き込むなと。
シャッターを閉めるくらいだから期待していませんでしたが、もう少し同情して親身になってくれても良いのではないか、このホテルに泊まったことが全ての始まりだった気になって、私もカッとなって机を叩いて今すぐチェックアウトすると言って荷物を持って又警察に戻りました。
もう一度交渉したのですが、明らかに外国人の盗難届けなんてやる気ないというのがありありと伝わってきます。言葉も通じないし見つかる訳無いと思っていてただただ面倒なのでしょうが、こっちは保険のためなので証明書さえもらえば良いのです。そう言っても理解しているのかいないのかも分からないまま、だんだん無視されだしました。もう皆他の事をやって相手にしてくれません。
盗難され、警察はやる気なく、ホテルオーナーは愛情がなく、完全にホーチミン市民が嫌いになりました。勿論良い人達もいましたが、良い印象より悪い印象が勝つのが人間というものです。
私も意地になって、絶対これだけはやり遂げると心に決めました。怒りを和らげるのは証明書しかないと。
警察署に居座って動かないことにしました。見ていると皆がいる所のすぐ側に簡易的な牢屋があって地元の不良っぽい若者達が入っています。私からも見えるしちょっと歩けば前を通れます。何だか随分オープンな牢屋です。
そうやってずっと座っていると、業を煮やした警察はバイクタクシーのおじさんを呼びました。ベトナムは観光客を相手にする人達は皆英語が達者なので、通訳にはうってつけの人材なのです。ただバイタクのおじさんです。善意では動きません。そこには必ず金が絡みます。おじさんは最初から言いました。『俺が証明書をとってやる、見返りに金はもらうぞ』どうしようもありません。今の私はこのおじさんしか頼る人がいないのです。
私は何処で盗られたか分からないと言っていたのですが、おじさんが言うにはどうも警察というのは調書を作るのに何時何分どこで盗られたかはっきり書かないといけないようで、嘘でも良いから決めろと言われました。
一緒にパトカーに乗り、場所の特定をしろと言います。案内しろという警察に、おじさんが適当な場所を言い、ここだと言って指を指せと目配せしてきたのでその通りにすると、再び署に戻ってようやく届け出用紙が出てきました。
もちろん全部英語で書かなければ行けません。四苦八苦しながら何とか書き上げ提出したのが14時。長かった、疲れ切りました。でもバスに間に合ったと思ったら、じゃ明日の同じ時間に来てくれ、作っとくからと言われました。これでバスチケットの買い直しと今晩のホテルを取らなければいけないことが確定。明日の出発だとビザ期限ぎりぎり、1日余裕を見ていて助かった。
おじさんにはその後たんまりと通訳代を取られました。持っていたドン(ベトナムの通貨)を全部渡しても足りないと言われましたが、これしかないと押し切りました。
ベトナムはドルが使えるので、盗まれた現金とは別の場所に入れていたドルでバスとホテルのお金を払い、これ以上の災難はごめんだとホテルから一歩も出ずに次の日に備えました。
翌日14時、警察署に行くと昨日対応してくれた人がいません。嫌な予感がしました、そしてその予感は当たりました。そこにいる誰も私の証明書等知らないと言うのです。
ベトナム警察の責任感のなさは酷い、引き継ぎも何もあったものじゃない。そしてあろう事か、その場で一番上の人間ぽい人が、もう一枚書け、明日の14時に用意しておくと言ったのです。
ここで完全に切れました。相手が警察だろうが関係ありません。昨日からの怒りが爆発して、私は大声で言いました。『昨日確かに今日の14時に用意すると言った。何より私は今日でビザが切れる、何が何でも今日絶対に出国しなければいけない』
相手も私が怒ったのを見て逆切れし怒鳴り合いになりました。向こうとしても日本人の若造に舐められるわけにはいかないという思いがあるのでしょう、部下の手前折れる訳にはいかないと思っていたかもしれません。ただこっちも必死です。『15時のバスに乗らなければ行けない。昨日キャンセルして2回もお金を払ってる、とにかくビザがないから明日はない』
人間追い込まれると怖さがなくなるらしく、警察署の中で一騒動巻き起こしていても気になりませんでした。と突然部下が1枚の紙を持って来て、お前の名前はこれかと見せてきました。それこそ私の盗難証明書でした。ちゃんと出来てはいたのです。その時14時30分、ぎりぎり間に合いました。
そこからバスに乗り、夜遅くカンボジアの首都プノンペンに着くのですが、その間の記憶が朧げです。盗難と警察とのやり取りが強烈過ぎて、それ以外の事が入ってくる余裕がなかったのかもしれません。
ホイアンは2泊で次の目的地ニャチャンへ。ニャチャンはベトナム随一のビーチリゾートで、何と砂浜が7kmも続いています。
日本ではあまり海に遊びに行ったりしないけれど、海外に来ると海に引き寄せられますね。
宿泊:Nice HOTEL
地元の人にとってはお昼寝の場所
この遊園地、なぜだか夜しかやってません。昼間稼働しない遊園地なんてめずらしいですね。
この男の子はずっとこの乗り物に乗っていました。隣の係員のお姉さんの子供かとも思いましたが、何となく他人行儀に見えたのでもしかしたらこんな夜に一人で遊園地に遊びに来たのかもしれません。
ニャチャンも2泊で出発、私の購入したバスチケットは日中なら椅子席、車中泊をする場合は寝台バスでした。車中泊は合計で3泊でしたが、ベッドがあれば全然辛くありません。
フエには1泊しかしませんでした。ビルさんのバイクで1日まわったら、もう見るものないなと思ったのと、ビザがなかったので15日間しかベトナムに滞在出来ないため、1都市に時間を掛けられません。
ホイアンはその古い街並が世界遺産に登録されており、歩いているだけでそれなりに楽しめる街でした。そしてここでは海外旅行先で初めてレンタサイクルを借り、一気に行動範囲が広がりました。以降自転車を借りられる場所では常に借りています。皆さんも海外旅行はレンタサイクルがおすすめですよ。
この橋は日本橋と呼ばれていて、日本人が作ったとされています。ホイアンは日本と関係が深い場所みたいです。
夜はお祭りをしていました。
ホイアンはビーチも有名だそうですが、今回は陽が落ちてからしか行けませんでした。